京都防衛の拠点として築かれた勝龍寺城の歴史を体感できる

京都防衛の拠点として築かれた勝龍寺城の歴史を体感できる

勝竜寺城公園

山崎合戦で敗れた明智光秀が最期の夜を過ごしたとされる勝龍寺城のおもかげを今に残す。「長岡京ガラシャ祭」でも知られる明智光秀の娘・細川ガラシャ(玉)と細川忠興が幸せな新婚時代を送ったところでもある

山崎合戦で敗れた明智光秀が最期の夜を過ごしたとされる勝龍寺城のおもかげを今に残す。「長岡京ガラシャ祭」でも知られる明智光秀の娘・細川ガラシャ(玉)と細川忠興が幸せな新婚時代を送ったところでもある

NPO法人長岡京市ふるさとガイドの会
横山 高尚(よこやま たかなお)さん
岡野 眞理(おかの まこと)さん

勝龍寺城は江戸初期には廃城になり、平成に入るまでそのままの状態でしたが、今や広く開かれた憩いの場になりました。歴史ファンの方々はもちろんのこと、小さなお子さんにも来ていただきたいなと思っています。僕たちもそうでしたが、子どもの頃に駆け回っていた場所が、実は色々なエピソードの詰まったところだ…と後で気づくのもいいものです。そこから歴史の面白さの扉が開くこともあると思うんです。本で学ぶ面白さもありますが、実物や現場を実際に見るのはおすすめしたいですね。百聞は一見にしかずといわれるように、本物を見て体感することは他に代えがたい学びになると思いますよ。ぜひ一度見に来て、歴史ロマンを身近に感じてもらえると嬉しいですね。

在りし日の姿を今に残す当時の石垣は必見
細川ガラシャの思い出残る勝龍寺城

永禄11(1568)年には織田信長が西岡一帯を攻略し、勝龍寺城を細川藤孝に与えました。元亀2(1571)年、信長の命で藤孝により、二重の堀と土塁の惣構が築かれるなど大改修がおこなわれました。本丸を取り囲んでいた石垣の一部は今も見ることができ、その中には自然の石に混じって石仏や五輪塔などが用いられていたことがわかっています。また、毎年11月の第2日曜に開催されている「長岡京ガラシャ祭」でも知られる細川ガラシャ(玉)は、藤孝の長男である忠興に輿入れし、勝龍寺城で短いながらも幸せな新婚時代を過ごしました。忠興と玉の銅像や、地下水100%の水道水が飲める「ガラシャおもかげの水」など、細川ガラシャと忠興のファンならぜひ見ておきたいスポットですよ。

勝竜寺城公園
(しょうりゅうじじょうこうえん)

住所:〒617-0836 京都府長岡京市勝竜寺13-1
アクセス:JR「長岡京駅」東口から徒歩約10 分、阪急「長岡天神駅」東口から徒歩約20 分
電話:075⁻955-9515(長岡京市商工観光課)
開門時間:9:00〜17:00(4月~10月は18時まで)
定休日:年末年始を除き無休
WEB:http://www.city.nagaokakyo.lg.jp/0000001138.html
長岡京市ふるさとガイドの会HP:http://www.nagaokakyo-guide.info/
SNS:なし
※土日祝は、長岡京市ふるさとガイドの会による定点ガイドあり。(3月末まで休止中)
※ガイド付ツアーは長岡京市ふるさとガイドの会のホームページ上にある申込書にご記入していただきまして、メールにてお申込ください。※メールアドレスは申込書に記載

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